活動実績

2010.10

2010年10月 第二夜例会

2010年10月28日

【会長 挨拶 追原 篤男 L】
先週は坂東三津五郎Lの7代目・8代目・9代目の追善狂言に32名の皆様にご参加いただきました。
片岡仁左衛門さんの佐々木盛綱は さすがに当代一ですね。首実検の見せ場など、今見られる最高の近江源氏だなぁ~とまさに圧巻でした。また、どんつくでは三津五郎さんの華やかでユーモラスな踊りと、追善興行でなければ絶対見られない団十郎さんの洒脱な演目、大和屋一門さんなど、豪華な踊りと芝居に秋の宵を堪能させていただきました。

次に11月6日の明治神宮ドングリ拾いと苗木作りのアクティビティですが、この行事は都内の小・中学校やIBMなど企業先が地球環境対策として大変人気が高いようです。
明治神宮のドングリから育った苗木が東京都内の小中学校の校庭や空き地で『鎮守の森』として育つと、広葉樹1本が消防自動車1台に匹敵する防火林の効果もあるようです。
地球環境対策と防火林、まさに一石二鳥のアクティビティです。キャビネット環境保全委員長も参加されますのでぜひご参加下さい。

メンバースピーチ
守時光暉L

守時家のルーツは鎌倉幕府16代最後の執権北条守時です

「守時家」は、桓武天皇六代孫の平貞盛を祖とし、鎌倉幕府第16代執権「北条守時」の末裔です。「守時」は、1333年鎌倉「巨福呂坂切り通し」において、新田義貞軍と勇敢に戦い、享年39歳で切腹しました。「激動の中、武士らしく切腹した猛将、ラストエンペラ-」と、政権末期の人物としてはまずまずの評価のようです。
NHK大河ドラマ「太平記(平成3年)」では、「守時」を「勝野洋」が演じました。
北条一族は、鎌倉「東勝寺」で滅亡しましたが、跡地の発掘調査でも遺体は発見されていません。その後、「守時」の一族は、今の「岡山県備前市福田」まで逃げ延び、落人になります。「守時家」は、我が家と隣の家とに、「土蔵」と「井戸」があって、ここを中心に約100軒の集落が形成され田畑を耕し生活していたようです。代々伝わってきた「刀」や「槍」は戦争のため供出され、「土蔵」を壊した際にも僅かな「小銭」が出てきただけでした。
明治になって、名字を許される際に「守時」を名乗ったようです。
今でも、集落全員、姓は「守時」で、家紋は、「丸に左三階松」です。

尚、「小田原北条」は、室町幕府御家人「伊勢新九郎(後の北条早雲)」を祖とするもので、全く関係ありません。

テールツイスター
坂下賢三L
「脂に下がる」(やに)この語源は何でしょうか?
煙管(きせる)の雁首(がんくび)を上にあげて吸と、「やに」が下がってきます。この形から「気取る・お高くとまる」という意味で使われ、現代では「いい気になってにやにやしている」に使われます。

幹事報告
加藤光晴L 
*銅冶Lの腰痛体操マッケンジー法が、又、テレビ朝日に取材され、追原Lも少し出演されました。
*池崎Lの論文『日本アイバンク協会と今泉賞』が10月号のライオン誌、P41に掲載されてます。
*本日の相川陽子さんの演奏 グリーグ:アリア・夜想曲・君を愛す

トップへ戻る