メンバースピーチ
守時光暉L
守時家のルーツは鎌倉幕府16代最後の執権北条守時です
「守時家」は、桓武天皇六代孫の平貞盛を祖とし、鎌倉幕府第16代執権「北条守時」の末裔です。「守時」は、1333年鎌倉「巨福呂坂切り通し」において、新田義貞軍と勇敢に戦い、享年39歳で切腹しました。「激動の中、武士らしく切腹した猛将、ラストエンペラ-」と、政権末期の人物としてはまずまずの評価のようです。
NHK大河ドラマ「太平記(平成3年)」では、「守時」を「勝野洋」が演じました。
北条一族は、鎌倉「東勝寺」で滅亡しましたが、跡地の発掘調査でも遺体は発見されていません。その後、「守時」の一族は、今の「岡山県備前市福田」まで逃げ延び、落人になります。「守時家」は、我が家と隣の家とに、「土蔵」と「井戸」があって、ここを中心に約100軒の集落が形成され田畑を耕し生活していたようです。代々伝わってきた「刀」や「槍」は戦争のため供出され、「土蔵」を壊した際にも僅かな「小銭」が出てきただけでした。
明治になって、名字を許される際に「守時」を名乗ったようです。
今でも、集落全員、姓は「守時」で、家紋は、「丸に左三階松」です。
尚、「小田原北条」は、室町幕府御家人「伊勢新九郎(後の北条早雲)」を祖とするもので、全く関係ありません。
テールツイスター
坂下賢三L
「脂に下がる」(やに)この語源は何でしょうか?
煙管(きせる)の雁首(がんくび)を上にあげて吸と、「やに」が下がってきます。この形から「気取る・お高くとまる」という意味で使われ、現代では「いい気になってにやにやしている」に使われます。
幹事報告
加藤光晴L
*銅冶Lの腰痛体操マッケンジー法が、又、テレビ朝日に取材され、追原Lも少し出演されました。
*池崎Lの論文『日本アイバンク協会と今泉賞』が10月号のライオン誌、P41に掲載されてます。
*本日の相川陽子さんの演奏 グリーグ:アリア・夜想曲・君を愛す